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友人に本当は責任があると思われるのに、友人が誰か他の人をなじっているとき、
私はそれを指摘できなかった。

嫌われたくなかったからである。


そしてまた、友人が私に責任転嫁をして私を批難してきたときも、
きちんと自分の状態や友人にも責任があることを言えず、
甘んじて受け入れてしまってきた。

たとえば、
私がお願いしたことをNOと言えなかった友人が本当はやりたくなかったため、
あとから「ちほりんが無理に頼むから引き受けたけど、
あんなこと頼むべきじゃない」と言われたことがあった。


でも、
引き受けないでNOと言えばよかったのにという言葉を飲み込んで、
私が悪者になって友人の気がおさまるならそれでいいと思っていたのである。



でもね、
そのおかげで何人もの友人関係がうまくいかなくなった。

私が悪者にされてしまったし、
悪者に去れた自分自身をも許せなくなったから。


バカみたい。
そして、悲しかった。



私はこういう失敗を繰り返し、
ようやく、
たとえば友人が私と一緒に講演会に行きたいと言ったとしても、
行くかどうかを決めるのは友人の自己責任であるということを学んだ。

一緒に行こうよと誘ったのが私だとしても、
友人には行かないと決めることだってできるのである。


私に誘われたから行くのではなく、
行くと決めたのは友人自身なのだということだ。

たとえその講演会がつまらなかったとしても、
私に責任があるのではなく、
行くと決めた友人自身の決断による結果に過ぎないということだ。


あるいは、
つまらないという感情を抱いたことも、
友人自身が選んだ結果なのだ。




私は今まで、
自分が誘ったことに対し、
友人が楽しく過ごせなければ私が悪いと思っていた。

自分で勝手に、重荷を背負っていたのである。


でも、すべては自己責任。
すべては、友人が選んだ結果。

あるいは、
友人は私と同じく、すべてを選ぶことができ、
あらゆることを自分でYESかNOかを決めることができるのである。


だから私は、
友人が自己責任で一緒に行くと決めたかどうかだけを、
相手に確認すればいいのである。

私が熱心に誘ったから行く、というような感じのときには、
「それではあなたのためにならない。
うまくいかなかったとき、誰かのせいにして逃げてしまう。
自分で本当に行きたいと思ったら、あなたから声をかけて」
と言えば言いだけである。


または、私の頼みごとをいやいや引き受けている様子のときは、
「無理に引き受けなくて、いいんだよ。
あなたがだめなら他の人に頼むから」
と、ただ言えばいいだけである。



友人が自己責任で行動することを忘れたようなとき、
私は確認すればいい。

あなたは、自己責任で行動しようとしているか?
または、自己責任で決断したか?と。


もちろん、私自身にも同じ問いを問いかけたい。

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