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先日セミナーで、

「願いを口に出して10回言うと、
叶(かな)うんですよ。

『叶う』という字は、口に10(十)と書くでしょ」

と教えてもらった(ナルホド)。



その女性講師はこんな話をしてくれた。

自分はカリスマ性に欠けるので、
最初の頃の自分のセミナーでは眠ってしまう人がたくさんいた、と。

だから車でセミナー会場に向かうとき、
「私は素晴らしい講師だ」
と声に出して自分を鼓舞しながら運転したそうだ。


最初はバカらしくも感じたが、
口に出して言うと、だんだんその気になってくるんですよ、
とも言っていた。



セミナーが終わって自宅に戻ると、
3日間セミナーでもらった「成功の詩」が、
トイレに貼ってあったことに気が付いた。

それまでは心の中で読みながら、
こんなの読んだってどうせ成功できないと、ばかばかしく思う自分がいた。


でもね、
口に出して言ってみることにしたの。

トイレに入るたびに声を出し、
1日10回くらい言うようにした。


1回目はね、
声に出したって変わらないだろうと思いながら読んだ。

でも2回、3回と声を出して読み上げていくうちに、
心の中で声を出さずに読むときとは効果が違うことに気が付いた。


声を出して読むことは意外と集中力が必要なので、
読みながら用をたすのは難しいときさえある(失礼)。

その分、
自分のしゃべった言葉が自分の体の中に入ってくる感じ。


でも心の中で読んでいるときは、
読みながら、自分をさげすむよけいな自分の声も聞こえるの。

声を出すと、
読んでもむだだと言う自分の声は聞こえないのに。



ところで「成功の詩」の中にね、
こんな言葉があるの。

「ちょうどダイヤモンドが、
研磨される前にもダイヤモンドとしての存在価値があるように、
私も私自身の存在価値を承認する。」


私はまだ、自分が成功したともすっごい幸せだとも思えない。
(恵まれているとは思っています)

だけど私の中にも、
磨けば光るものがあるのかもしれないと思うようになった。


自分の可能性を、ちょっと感じられるようになった。



お祈りは声を出すよね。
お経も声を出して読むよね。

小学1年生の娘は、音読が宿題によく出る(笑)。


声に出すと、自分の体と心と魂に、
自分の言葉通りのものが植えつけられる感じだ。


自分のほしいものや理想は、
声に出して10回言ってみよう。

きっと”叶う”から!

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友人に本当は責任があると思われるのに、友人が誰か他の人をなじっているとき、
私はそれを指摘できなかった。

嫌われたくなかったからである。


そしてまた、友人が私に責任転嫁をして私を批難してきたときも、
きちんと自分の状態や友人にも責任があることを言えず、
甘んじて受け入れてしまってきた。

たとえば、
私がお願いしたことをNOと言えなかった友人が本当はやりたくなかったため、
あとから「ちほりんが無理に頼むから引き受けたけど、
あんなこと頼むべきじゃない」と言われたことがあった。


でも、
引き受けないでNOと言えばよかったのにという言葉を飲み込んで、
私が悪者になって友人の気がおさまるならそれでいいと思っていたのである。



でもね、
そのおかげで何人もの友人関係がうまくいかなくなった。

私が悪者にされてしまったし、
悪者に去れた自分自身をも許せなくなったから。


バカみたい。
そして、悲しかった。



私はこういう失敗を繰り返し、
ようやく、
たとえば友人が私と一緒に講演会に行きたいと言ったとしても、
行くかどうかを決めるのは友人の自己責任であるということを学んだ。

一緒に行こうよと誘ったのが私だとしても、
友人には行かないと決めることだってできるのである。


私に誘われたから行くのではなく、
行くと決めたのは友人自身なのだということだ。

たとえその講演会がつまらなかったとしても、
私に責任があるのではなく、
行くと決めた友人自身の決断による結果に過ぎないということだ。


あるいは、
つまらないという感情を抱いたことも、
友人自身が選んだ結果なのだ。




私は今まで、
自分が誘ったことに対し、
友人が楽しく過ごせなければ私が悪いと思っていた。

自分で勝手に、重荷を背負っていたのである。


でも、すべては自己責任。
すべては、友人が選んだ結果。

あるいは、
友人は私と同じく、すべてを選ぶことができ、
あらゆることを自分でYESかNOかを決めることができるのである。


だから私は、
友人が自己責任で一緒に行くと決めたかどうかだけを、
相手に確認すればいいのである。

私が熱心に誘ったから行く、というような感じのときには、
「それではあなたのためにならない。
うまくいかなかったとき、誰かのせいにして逃げてしまう。
自分で本当に行きたいと思ったら、あなたから声をかけて」
と言えば言いだけである。


または、私の頼みごとをいやいや引き受けている様子のときは、
「無理に引き受けなくて、いいんだよ。
あなたがだめなら他の人に頼むから」
と、ただ言えばいいだけである。



友人が自己責任で行動することを忘れたようなとき、
私は確認すればいい。

あなたは、自己責任で行動しようとしているか?
または、自己責任で決断したか?と。


もちろん、私自身にも同じ問いを問いかけたい。

小学校1年生になった娘が7歳になったとき、
日曜日に七五三のお祝いをした。

土曜日に両親が我が家にやってきた。


日曜日の11時半に写真屋に予約していたがものすごい混雑で、
母は玄関先で早くも顔がへの字になっている。

でも私は、
「その人に愛されていると思えなかったら、
あなたの愛がわからない私の方がごめんなさい」
というような文章を読んでいたので、
ちょっとイライラしたけれど、気にしないことにした。


あいているいすに座って待っている間も、
母はずっと口角が下がったまま。

でも私は母の機嫌はとらないことにして、
自分の機嫌をよい状態に保つことにした。

テーブルにおいてあるサンプルの七五三の写真を、いくつもながめた。
母の顔は見ないようにして(笑)。


やがて順番が来て、
娘の髪を日本髪に結ってもらい、
かんざし3点などをつけ、着物を着付けてもらった。


この着物は、私が七五三のときに着たものである。

高さが10cm以上もあるぽっくりをはいて、
東京の父の実家から神社まで長い長い距離を歩かせられたので、
とても疲れた思い出が残っている(笑)。


娘は、写真を写すときだけぽっくりをはいた。

まずは後ろ向きで鞠(まり)を持ち、帯を見せながらの写真。
それからサッカー部のウエアを着た息子と、ツーショット。
そして両親と私、子どもたちの5人での家族写真。

最後に娘一人での立ち姿。


写真代を払って出るまでに、3時間もかかったのだった。



それから神社に車で向かって、
いつもは1円か5円のお賽銭を100円玉に奮発してお参り。

その後いったん自宅に戻ってから、
料亭内のフランス料理レストランに向かった。


赤ワインのボトルを頼むと、
売切れてしまって今買いに行っていると聞かされ、唖然。

とりあえず、白のグラスワインを私は頼んだ。
(その後すぐに、ボルドーの赤が出てきました。ホッ)


和風のコース料理は、
生ハムとメロンならぬ、生ハムといちじくが出たり(相性ばっちり)、
ステーキがものすごくやわらかくて、今までで一番おいしいお肉だと思ったり。


デザートが出る頃、
ご馳走してもらう父が必ず聞く言葉が、今回も出た。

「これでいくらなの?」


「いくらだと思う?」
と、ただ値段を教えるだけではつまらないと思った私が逆に父に聞くと、
「3000円くらいか・・・?」

そこで母が、いつものように冷笑。


でもね、
父の愛も母の愛も皮肉や批判にしか受け取れない私の方がおかしいんだよね。

父はサービスに値段をつけない人なのだと思い、
私はいつものように父を心の中でバカにするのはやめにした。



子どもや他人を愛さない人なんて、いるはずない。
愛を持っていない人なんて、いるはずがない。

愛を感じられない私の方に、
感謝の念がたりなかったり、自分がイライラしていたりといった原因があるから、
相手の愛を感じられないだけに違いない。


愛は必ずあるはず。
愛を感じられる人になろうと思う。


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昔、娘の幼稚園の運動会に出たとき、
ママによるタイヤ取り競争の激しいクラス対抗戦などがあり、
私は肉離れを起こしてしまった。

その2週間後には地区体育祭があり、
出場すれば参加賞がもらえるので、
パン食い競争や障害物走などいろいろ出ていたら、
またまた肉離れを起こしてしまった。


毎日パソコンに向かい、車で移動なので、
まったく運動していないからだ(恥)。


でもそのとき、体を動かすって楽しいなと思い、
子どもの頃から持久走はワースト10に入っていたのに、
マラソンに出てみたいなと初めて思ってしまったのだった!



と思いながらも、
仕事と車での旅行ばかりの毎日で走ることはしないまま、
今年も運動会の季節が終わったのだった。

ところで息子がサッカー部に入ったから、
練習や試合のときは送り迎えをし、
娘がその間グランドの隅で遊んでいるので
私はずっとサッカーが終わるまで家に帰れない。

もったいない時間だなと思っていたが、
ふと、
待っている合間に走ろう!と気が付いたのだった。


さっそく走ってみましたよ、
肉離れを起こさない程度にネ。



1周1キロにも満たないところを、
ひとりでこっそり(知人に見られると恥ずかしいので)走った。

走り終えたら、休憩がてら娘が無事で遊んでいるか確認して、
また走った。

30分に1回くらい走った。


それを3周。


次のときは、5周走った。



秋も深まり、どんどん寒くなってきたけれど、
走ると体が火照って、冷え性の私にはいい感じ♪

これなら来年、
地元で行われるマラソン大会の3キロコースくらいには出られるかもと、
早くも狸の皮算用。



ところでなぜ、走り始めたのか。

運動と長距離が苦手だったから、マラソンに出てみたいという挑戦心もあるけれど、
実は、
毎日他人にどう見られているかなど気にしてばかりの自分を変えたかったからだ。


自分はこうしたいという思いより、
どう思われているかばかり考えて、ビクビク過ごしている毎日。

自分で自分の感情をコントロールできるようになりたい。
自分が、自分の人生の主人公になりたい。


他人にどう思われているかなんて余計なことを考えないように、
サッカー終了までの暇な時間に何かしたいと思ったからだった。



走ると決めて走ったら、
少し強くなれた気がした、精神的に。

それは、
自分には自分でやろうと自分が決めたことがあり、
その決めたことをちゃんと自分が実行したから、
自信が生まれたからだと思う。



イジイジした毎日だったけど、
体を鍛えるということで気分が変わった。

気分が変われば、
きっと人生も変わる!


誰かによく思われなくても、
自分でかちとった自信は私の強力な味方だ。

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